
ドコドコドコドコ……

今日のコロモーは忙しそうに走り回っていますね。

いつも通りと言えばいつも通り。

放っておきますか……

ちょーっと待ったー!!!

ああ、コロモ。

今のコロモーの気持ちに興味はありませんか?

押しつけがましい……

まぁ、嫌でも気にはなりますね。

よくぞ聞いてくれました!!!

コロモーは今、”心”を探しているのさ!♥️

そんな訳で今回は書籍「心はどこへ消えた?」を紹介するよ!

強引なこと極まりないですね……

まぁ、よろしくお願いします😥
コロナによって、皆どこか閉鎖的な気持ちになってしまった。心はどこへ行ったのだろうか。エッセイを書いていると、原因はコロナだけではない気もしてきた。臨床心理士の視点から見る現代の孤独とは。週刊文春で連載していた臨床心理士の東畑開人さんのエッセイをまとめた書籍。面白おかしく、”心”について考えさせられます。

まず、この本の魅力はエッセイであること!

魅力がエッセイであること?

なんか独特な捉え方ですね。

そんな難しい話しじゃないよ!

“心”って言う難しくて繊細な問題を、エッセイって切り口でユーモアを交えつつ語ってくれるから、

心理学とか全く知らなくても面白く読めるんだ!

なるほど。

確かに“心”って、根底から理解しようとすると奥が深すぎますね。

難しく考えずに読める作品なら、エビフライは何でもかかってこい!って感じです。

特に語りたいのは筆者・東畑開人先生の文章力なんだ!

通称バジー先生は臨床心理士なんだけど、

作家が本業なんじゃないかってくらい文章を書くのが上手いのだ!

臨床心理士ってカウンセリングとか大変そうですもんね(無知)

その文章術、本書の最後の解説に「サーカス」って揶揄されているんだけど、

コロモーも、まさにピッタリの響きだと思ってるんだよね!

……と言うと?

詳しくは本書を読んでもらいたいんだけど、

最初の「入口の変身物語」とか、最後の小さなサプライズとか、

エッセイでありながら、1冊の本としての構成も練られていてびっくりだ!😮

エッセイは素人の目から見ても、1冊にまとめ上げるのは難しいと日ごろ思って生きています。

忙しいであろう本業をこなしながら、構成がしっかり練られた1冊を生み出すのは尊敬のほかありませんね。

コロモーはこの本を通して「超自我」なるものを覚えたよ!

超自我……?

どこか厨二病心をくすぐる響きですね(笑)

どういう意味なんですか?

この超自我について、本書では「心の中の上司役」と言いまわしているよ!
(中略)こういう自分で自分を責める声のことを、心理学では「超自我」と呼ぶ。超自我はだれの心にも存在していて、私たちに「こうするべき」と規範を提示するものでもあり、「よくできた」とか「全然ダメだ」と価値判断をするものでもある。いわば、心の中の上司役だ。
p65より一部抜粋

みんなも「〇〇すると失敗する」とか「〇〇しない方が良い」みたいな、

行動を阻害してくる心の中からの批判って経験があると思う。

それが超自我という訳ですか。

もちろんエビフライも、このような経験は数えきれないほど身に覚えがありますね。

そう、自分自身が自分に向かって批判してくるのって厄介なんだよね~。

そんな悩みを本書では、現実はもっと優しいって教えてくれるんだ!

現実はもっと優しい……!

言われてみれば確かにそうですね。

超自我から来る批判って、いつも最悪のケースであることが多い気がします。

そう!

想像よりも、実際は何とかなった!みたいなケースばっかりだ!

学問の勉学も大事ですが、

こういう社会を生きるための豆知識みたいなのこそ欲しくなる瞬間もありますからね。

コロモーに教えてもらって、エビフライ自身も活用していきたいところです!

それは良かったコロモー!🍤

実は”超自我”が語られているエピソードってすごく短いんだけど……

そうだったんですか!?

コロモーの長ったらしい説明のおかげで、これがメインテーマと言わんばかりだと思っていました……

説明が下手で悪かったコロモーね……!

結局、コロモーが伝えたいことは、

どのエピソードも優しさとユーモアで背中を押してくれるってコト!♥️

友達同士で読んだら、好きなエピソードがバラバラになるかもしれない……!

自分が何気なく読んだエピソードが、友達からしたらコロモーの超自我のように心動かされているかもしれない!

その気持ちの循環はまさに”心”を現わしていますね。

それもバジー先生の文章の魅力だと思うんコロモーね~!

この本の魅力をもう一つまみ……

それは「コロナ本であってコロナ本ではない」ことなのだ!

……それって魅力なんですか?

よくぞ聞いてくれました!

この本は週刊文春で連載していたエッセイをまとめたものなんだけど、

バジー先生は最初、コロナで心が消えてしまったことについて書いていたんだよね。

密を避けたりリモートワークだったり、

コロナ期間は人と人との繋がりが薄くなっていた時期でしたね。

そうなんだ……😢

でも連載を続けているうちに、バジー先生は「コロナが原因ではない?」って疑問を持ち始めるんだ。

なるほど……?

そこからテーマは「心はどこへ消えた?」に切り替わる……

実は、最初はバジー先生自身も違うテーマで書いていたのだ!

だから「コロナ本でありコロナ本ではない」に行き着く訳ですか。

当初のコロナ本から一変、バジー先生自体の気づきも相まって、

読み手としてより親身に感じやすくなったんだよね!

起承転結で言えば、“承”の部分。

実際に起承転結を1周した後で生まれた、新しい問題についての深堀り。

読者をバジー先生の世界観へ引き込むのが上手いですね。

そう、それが伝えたかったのだ!

だからこそ「コロナ本であってコロナ本ではない」ことが魅力とも言えるのだ!!!

もう一つ印象的だったのは「非私」って概念!

またまたヘンテコな単語ですね。

一体全体どういう意味なんですか?

これまた素晴らしい!ってなる考え方なのだ!

本書で妖怪ウォッチの「ようかい体操第一」を例に挙げてるんだけど、

「妖怪のせいなのね」ってリリックは有名だよね。

リリックって言い方、やかましさを感じさせますね。

妖怪のせいにすれば気が楽じゃん!

って考えを応用して、

脳で考えていることは他人事とも捉えられるよね!
(中略)脳とは他者なのだ。もちろん身体的には、脳は「私」の一部分でもある。だけど、それはあくまで物質であるから「非私」でもある。脳のせいなのね。妖怪や天気と同じで、「私」だけでは抱えきれない心は、「非私」に置かせてもらえると助かる。
「心はどこへ消えた?」p209より一部抜粋

っていうのがバジー先生の根性論!

だいぶ苦しい言い訳味は感じますが……

もしも心へ攻撃を許してしまっても、逃げ道もあるよって考え方はアリですね。
この記事のまとめ
- 心はどこへ消えた?
- 「非私」という概念
- まさにサーカス
- コロナ本でありコロナ本ではない
- 超自我
- バジー先生の表現力

難しそうなタイトルとは一転、面白おかしくユーモア溢れるバジー先生のエッセイ!

臨床心理士から見た”心”の在り方……

そっと背中を押してくれるような一冊です!!!

人間関係が苦しい思春期や新社会人の方には特にオススメしたいですね。